DWドラムワークショップの歴史
アメリカには様々なメーカーがあるが、その中でも比較的歴史が新しくて最も成功しているドラムメーカーであるDWの歴史を見ていきたいと思う。
こちらはアメリカのDWに関するWEBサイトやDWに詳しいテック、友人の話等を総合して作成した。誤っている部分があればぜひご指摘頂きたい。
DWといえばドラムセット、スネアはもちろんのこと、ペダルやハードウェア類に至るまでどれも品質が良く世界中で高い評価を受けているメーカーだ。
正直申しあげると、私もDWには強い憧れがあり、アメリカに渡った際には必ずDWのドラムセットを手に入れたいと思っていた。
実際にアメリカにいた7年はずっとDWのドラムセットを使っていた。
当時はアメリカでもDWは高嶺の華でありなかなか手に出来るものでは無かったが、ようやく念願かなってDWのドラムセットを手に入れることが出来た時は本当に感動したものだ。
音も素晴らしく、また、ハードウェア類も非常に優れたものが多い。
そんなドラマーの憧れの1つ、DWの歴史について少し見ていきたいと思う。
DW創設のキッカケ
DWの始まりは1972年のことで他の老舗メーカーに比べると非常に歴史が浅い。
実はDWは小さなドラム教室からスタートした。
DWの創始者はドン・ロンバルディという方だ。
Donは12才の頃から近所でドラムの先生からレッスンを受けたことがきっかけて、ドラムを始めるようになった。そして、ドラムの奥深さに魅了されていった。
彼はプロとしてドラム演奏をする傍ら、楽器店でドラムの教師もするようになった。
彼は非常に人気のあるドラム講師でプロとしての演奏による報酬と合わせると生活するには十分な収入を得ることが出来たそうだ。
そんな彼は1972年、26歳の時にカリフォルニアのサンタモニカに自分のドラム教室を開き、そこをDrum Workshopと名付けたのだ。
これが後にDWとなる。
サンタモニカは当ショップからも近かったが(車で30分くらい)、非常に良い場所である。LAに観光に行く際にはぜひ行ってみて欲しい。
ビーチもレストランもお店も雰囲気が最高で治安も良い。私が住んでいたハリウッドよりも断然住みやすかった。ちなみに今のDWの工場は別の場所にある。
DWがドラムショップになった訳
レッスン教室を開いたDonだったが、経営はなかなか安定しない。
スクールを開くということは経費、維持費がかかり難しいものだったからだ。
そしてDonは出資者を募り、教材やドラムスティック、ドラムを売ったりするようになる。
さて、そうなると当然、忙しいので手伝ってくれるスタッフが必要になった。
後の副社長の少年と出会う
そんな時に目にとまったのがJohn goodという1人の生徒だ。この時17歳。
彼は今ではDWの副社長だ。
DWはDonとjohnの2人で始まった会社なのだ。
では、なぜ彼が目にとまったのか?
ドラムが上手だったから?
全然違う。
めちゃめちゃ下手だったそうだ。
Johnはドラム演奏の際に悪い癖がありそれを直そうとレッスンに通っていたようなのだが、全く進歩せず、他の生徒のような才能は無かったそうだ。
いや、そこを何とかするのが先生なのではとも思ったが、他の生徒は成長して彼は駄目だったということはきっと本当に問題児だったのだと思う。
そしてDonはJhonに「僕はたくさんの成功している生徒さんを見てきたけど君は彼らのようにはなれないだろう。」と言った。
するとJhonは「そうですか。じゃあ、これからどうしましょう。」と笑ったそうである。
ここで、Donは考えた訳だ。
Jhonを雇おう、と。
忙しくなってきたドンはお手伝いしてくれるスタッフが必要だった訳だから、まさに適役ということでJhonを雇うことにした。
ドラムについて語り合う
それがきっかけとなり、2人は急激に接近した。
ドラムという楽器をどのように改良することでドラミングがどのように変化するのか、ということに関して熱く議論を交わすようになる。
jhonはドラム演奏自体はイマイチだったものの、ドラムという楽器に対する取り組みや音に対する感性は素晴らしいものを持っていた。
2人は意気投合して常に良いドラム製品を作ることやそのアイディアに関して話し合うようになった。
そしてJHONは一流テックに
DONの見る目が良かったのか、JHONはこの後、世界的なドラムテックになる。
といってもだいぶ後のお話だ。
彼のドラムの音を聞き分ける耳と、それを調整する技巧は素晴らしく、スタジオやツアーで、
Freddie White(Earth Wind & Fire)、
Jonathan Moffett(The Jacksons)、
Chad Wackerman(Frank Zappa)
などのドラムのチューニングを担当するまでになった。
JHONはドラムTECとして世界中を飛び回る程の売れっ子になったのだ。
いやー、すごい話である。
元々はドラムの才能が無いと言われていた少年が世界的なドラムテックになる訳だから、人生分からないものだ。
ちなみに、アメリカではドラムのビルダーがドラムTECを兼ねている、ということは珍しいことでは無い。
やはり優秀なドラムビルダーはドラムを良く知っているので、チューニングや音に対する感性も素晴らしいのだと思う。
さて、時代は戻りますがDonとJhonは2人で様々な製品を開発して売っていくようになるが、その後のお話は次回に。